個人プロジェクトの記録から(報告書の付帯資料)その2
第1章
【ヒースロー】
僕は今、ロンドンのヒースロー空港の入国審査待ち行列の中にいる。前回よりもずいぶんと厳しい。きっとテロへの警戒のためなのだろう。なかなか僕の番にならない。僕の前に並んでいたブラジル人なんかはどこかへ連れて行かれてしまった。かなり怪しいバックパッカー姿の僕もちょっと心配してたが、あっさりと終わってしまった。
遡ること15時間前、僕は関西国際空港を飛び立ち、オランダのアムステルダムで乗り継いで、そして、ここヒースロー空港に降り立った。なぜ、わざわざアムステルダム経由かというとKLMのマイレージプログラムの特典無料航空券を使っているので文句は言えない。BAの関空からの直行便は数年前に無くなってしまった。貧乏旅行の僕には選択の余地はなかったのだ。
最初は1ヶ月間の予定で計画していたのだが、家族にあえなく却下されてしまった。
そういうわけで、出国日と帰国日だけを決めておき、中身はフレキシブル(悪く言えば行き当たりばったり)な計画になっている。とはいえ、家族には計画書を提出しておいた。ただ、家を出る直前に計画をまた変更したものだから「この計画書も向こうでまた変更になるということね。」と言われてしまった。・・・バレたか・・・・。
そして、ここから僕のバックパッキングでの南イングランド一人旅がはじまった。
【B−Pハウス】
ヒースロー空港を後に、とりあえずその日の一泊だけをメールで予約しておいたB−Pハウス(ベーデン・パウエル ハウス)に向かった。地下鉄(tube)に乗り40分ほどでグロースター・ロードに到着、そこから徒歩5分ほどの場所にB−Pハウスがある。もう一つ東のサウス・ケンジントンでもよいとのことだったが、試しに実際に歩いてみたらグロースター・ロードからのほうが1分短かった。(60へぇ)
ボーイスカウト日本連盟発行の国際紹介状を持っていたのでスカウト価格で宿泊することができた。決して豪華ではないがシンプルできれいな部屋だ。廊下にはウォータークーラーがあり、飲み水には不自由しない。日本ではそれが当たり前のように、水のことなどあまり意識することも無いのだけれど、海外で飲み水のことを考えないでいられるというのはとてもありがたい。食堂は高級ホテルには遠く及ばないが、まあまあの味で結構満腹感を味わえる。他の人ならどういうかわからないが、少なくとも貧食家の僕には、そう感じられた。
グランド・フロアーにあるロビーにはB−P関係の物が数多く展示されている。話や書物などでの知識として持ち合わせていた物が、現実に目の前に現れる感動は筆舌に尽くしがたいものがある。こんな事を言うと、まるで僕が「盲目的BP狂信者」のように思われるかも知れないが、決してそんなことはない!・・・はずだ・・・。
【ブラウンシー島へ行きたいなぁ】
ブラウンシー島へ行く方法をBPハウスの受付のおじさんに尋ねてみた。鉄道で2時間ほどで「poole」という町に行きそこから船が出ているのでそれに乗ればいいとのことだ。でも、イギリスの鉄道は意外に高く付く。「出来ればバスでいきたいのだけれど」と言うと、バスでの行き方はわからないけど“ビクトリア・コーチ・ステイション”に行って訊いてみればいい、ロンドンのバスはほとんどがそこから出ているから・・・と。
【poole への道】
バスはロンドンをあとに南イングランドのドーセットにある pooleの町に向けハイウエイをひた走っていた。その車窓には英国らしい田園風景が広がっている。ビクトリア・コーチ・ステイションを出発したのは半時間ほど前のことだ。バスの窓に寄りかかりながら、僕はそこのチケット売り場のおじさんのことを思い出していた。
僕が行き先を告げると、”Need you sun pound.”と彼は言った。いや、少なくとも僕にはそう聞こえた。さっぱり意味がわからない。”pardon?” 僕の言葉に対して彼は同じ言葉を繰り返した。何度か聞いているうちに、彼の机の上の日本グッズが視界に入った。そうかっ!日本語だ。「に〜じゅう・さん・ポンド」「23ポンド」だ!突然、金額だけを中途半端な日本語で言うから返って始末に悪い。。。僕がようやくその意味を理解して「にこっ」とすると彼は仕事をそっちのけで引き出しの中やらテーブルの下から日本グッズの山を引っ張り出してきて自慢しだした。これは東京、これは横浜、京都、大阪・・・。あんたはどっから来た?滋賀か、滋賀も行ったよ。大津だよ。あんたも大津かい。大きな湖があるよな。そう、ビワコだ・・。それから、益々写真やらドラえもんグッズをはじめに日本のアニメグッズを自慢しだした。後ろを見ると長蛇の列だ。そんなことはお構いなしに話し込むおじさん。窓口はいくつかあるのだが、僕は気が気じゃない。バスの発車時刻の5分前にやっと解放された。まいったよ、まったく。
【pooleの街並】
ここに到着する前に勝手に思い描いていたpooleの街が僕の想像の世界に広がっていた。ところが、それを打ち砕くような光景がそこにたどり着いた僕に襲いかかった。決して新しくはないが大きなバスターミナル、巨大ショッピングモールのドルフィン・ショッピングセンター、「超」ではないが高層ビル。少なくとも僕が考えるようなイギリスの片田舎の鄙びた港町ではなかった。
ショッピングセンターの中を通り抜け、港のほうに歩いて行くと、両側にいろんな店が建ち並んでいる”High Street”という賑やかな通りへと道は続いていく。20分ほどで海が見えてくる。そこがプール港”poole quay”だ。そして、その沖合に浮かんでいるのが目的地ブラウンシー島だ。思ったより平らな島だ。そこへ向かう船は30分毎に出ている。
【プール・ハーバー】
プール・ハーバーには驚くほど多くのヨットが係留されている。最初見たときはたくさん船が走っているなあと思ったのだが、よく見るとヨットだ。それもセーリングをしているわけでもなく、一定の間隔を保ちながら、ほぼ規則正しく並んでいる。なんと、航路以外はほとんどヨットの係留場になっているように見えた。プール港を出てから船は20分ほどでブラウンシー島の東側にある港に到着する。港は”Entrance building”の前にある。船は裕に200人ほどは乗れそうな大きさだが乗客は僕を入れても6人だけだ。その上、ブラウンシー島の港で降りたのは僕だけだった。みんなはいったいどこへ行くのだろう。
【ブラウンシー島】
そこはナショナル・トラストが管理している島だった。比較的起伏の少ない平らな島だ。ここで目に入った光景もまたもや、僕の想像(もはや妄想と言ってもよいかも知れないが)を打ち砕くには十分だった。島の中はまるで公園だった。クジャクやリスがいて下草もまるで芝生のようになっている。季節によってはスカウトとは無縁の一般の観光客がどっと押し寄せる、そんな島のようだ。ナショナル・トラストのおじさんがスカウトのキャンプ場について教えてくれた。キャンプは7,8月頃で9月にはキャンプはしていないそうだ。「メモリアル・ストーンがあるので行ってみるといい、ここから20分ほどのところにあるよ」と、彼は地図をわたしてくれた。
ここで僕の想像(妄想)を紹介すると、野を越え山を越え、草木を掻き分けながら小川を飛び越え、泥濘の細道を行くとやっと野営地に辿り着く・・・そんな光景すら思い描いていた。きっと、B−Pが実験キャンプをした100年前はそうだったかも知れないと、納得することにした。それにしても、スカウト達がキャンプをしているようすを見ることが出来なかったのはとても残念だった。静まりかえっているスカウトキャンプサイト。風の音や木々のざわめきとに、100年前に想いを馳せよう。あたりには僕以外だれもいない。プールの町で買った fish&chips を頬張りながら、しばらくここでタイムスリップを楽しんで港へと向かった。僕にはまだ行かなくてはならないところがあった。
第2章
【コーン・ウォール地方】
以前、何処かのテレビ局で某俳優さんの夫婦がここを訪れた番組を見たことがあった。それ以来、ずっと心の何処かに引っかかっていた。今回の英国一人旅の目的にもそのことが少なからずあった。それは、ある女性が一生を掛けて浜辺から石や岩を運び造り上げた野外劇場を是非一目見たいという思いだった。プールから更にバスに揺られること8時間、途中プリマスでバスを乗り継ぎ、やっと着いたのはコーン・ウォール半島の先の方にあるペンザンスという小さな町だ。時刻はもう夜の10時過ぎ。あたりは真っ暗。町はすっかり静まりかえっている。プールの町で調べてとりあえず電話で予約をしておいた宿に、僕は向かった。
【Land’s End】
ペンザンスからバスで1時間ほどの場所に、英国本土の最西端の岬、Land’s Endがある。「地の果て」・・・こう呼ばれた岬・・・いったいどんなところなんだろう、興味津々。バスを降りて岬の先まで歩く。断崖絶壁に大西洋の荒波が怒濤のごとく打ち寄せる。(ほんとうに月並みな表現だが、まさにそんな感じだ。)
その先には遙かシリー諸島がかすんで見える。自分が今、英国にいることさえ忘れてしまう。そんな風景だ。
ランズ・エンドからポースカーノ行きのバスを待っているとき、フランス人のおばさんがセント・アイヴスに行ったかと質問してきた。「行ってないけど・・。」と言うと、彼女は絵葉書やらパンフレットをカバンから引っ張り出し、僕に語り始めた。「日光を見ずに結構と言うな」じゃないが、おばさんはセント・アイヴスを見ずにコーン・ウォールを語るなと言わんばかりに、今からぜひ行きなさいよと勧めてくる。たしかに素晴らしい所らしいが、彼女は僕に自分の感動を押しつけてくる。でも、僕はポースカーノの野外劇場に行きたいのだ。とりあえず、「じゃあ明日行くことにする」と言って彼女に納得してもらった。でもフランス人ってこんなにお節介だっけ?きっとフランスの田舎の人なんだろう・・・(?)。
【ミナック・シアター】
ポースカーノでバスを降り、歩くこと10分ほどで海が見えてくる。ランズ・エンドでは薄く曇におおわれた空が、すっかり様相を変え紺碧の海に反射する眩いばかりの光が僕を出迎えてくれた。遠く東の果ての国から英国の西の果てくんだりまで大きな荷物を背負ってやってきた馬鹿者へのご褒美だろうか。その崖っぷちから見下ろすと自分が想像していたよりも遙かに大きな野外劇場を視界に捉えた。僕は引き込まれるようにどんどんと劇場の方に歩いていった。
シアターの石の椅子に腰を掛けて、知らぬまに想像の世界に浸る。たしか、さっきまで真上にあったはずの太陽が、もう横から僕を照らし始めていた。ロエナ・ケイドという女性が若い頃から自らの生涯を終えるまで、こつこつと浜辺から岩石を運んで造り上げた野外劇場。彼女が何を考え、なぜそれを造り上げようとしたのか、その気持ちを我が身に引きつけて考えようとしても、それはただ、僕の理解の外側でぐるぐると回っている。僕にはこんな事出来ないし、また、しようとも思はないだろう。でも、感動はおもいっきりできる。こんな人生の使い方もあるんだ。すごいよ、まじ。涙がこぼれる。
【ペンザンスからロンドンへ】
その日、僕は朝4時起きをして5時半には宿を出て6時の長距離バスに乗るために、まだ夜の明けやらぬ真っ暗な海岸通りを一人、リックサックを背負って歩いていた。ランズ・エンドで出会ったおばさんには「セント・アイヴスに行ってみるよ」と言ったのだが、僕にはまだ行かなければいけないところがある。そう、実は「ギルウェル・パーク」でソロ・キャンプをするというこの旅最大の目的があるのだ。
バスターミナルには人っ子一人いない。僕だけだ。そこに、定刻通りバスがやって来た。バスに乗ろうとすると運転手が「予約はあるかい?」「いや、ないよ」と答えると「今日は満席だ」「えっ、誰も乗っていないのに?」「途中で満席になるんだよ」だって! バスはこのペンザンスが始発なのだ。あの日、プールのバス予約センターでチケットを買ったとき「予定が決まってないんだけど」って言ったら、係のおばさんが「予約無しでもたぶん大丈夫だよ」って言ったのでオープン・チケットにしたのに〜〜ぃ。
で、運ちゃん曰く「次のバスにのってくれ sorry!」ってかあ? 次のバスって明日じゃん!
途方に暮れたのも束の間、ここはスカウト、気を取り直して。。。。そうだ鉄道だ! イギリスの鉄道は運賃が高いがそんな事を言ってる場合じゃない。運良く鉄道の駅はすぐ近くにあるはずだ。やはり、日頃の行いが良いせいだと思い直した。(でも、バスには乗れなかったじゃん・・・という突っ込みは無しね。)
奮発して切符を買う。もちろん2等だけど。ロンドン行きがすぐに発車するというのでそれに飛び乗った。しばらく走るとあたりは次第に明るくなってきた。車窓から見える風景はバスのそれとはずいぶん違って見えた。これはこれでよかったのかもしれないと思ったとき、ふと、井上陽水の「ロンドン急行」という歌を口ずさんでいた。「♪あこがれのロンドン急行、ブルーの色に白帯かけて、山を越え丘を越え谷を抜けてゆく♪」・・・(古い?)
列車はペンザンスの駅を出てから2時間ほどでプリマスに到着する。コーン・ウォール半島の付け根にある大きな町だ。予定ではあの僕を見捨てたバスはまだここには到着していないはずだ。「やーい、ざまーみろ!」おっと、ちょっとお下品だったかな「ざまーごらんあそばせ!おほほほほ」・・・そうでも思わないとねっ!
ペンザンスをあとにしてから5時間半後、ようやく列車はロンドンのパディントン駅に滑り込んだ。いいかげんなダイヤと言われている英国の鉄道にしてはほぼ定刻通りの到着だった。
第3章
【チンフォード】
ロンドンのリバプール・ストリート駅から列車に乗ること30分、終点のチンフォードに到着する。駅を出て右手に少し歩くと「三菱自動車」がある。そこを過ぎ、小さな路地を渡るとすぐに3辻の交差点に差しかかる。その左側がバーリー・ロードだ。それは、何の変哲もない片側1車線の舗装道路で両側には草原が広がっている。そして、その道はまっすぐに遙かエッピングの森へと延びている。
バーリー・ロードを歩き出すと左手にはゴルフ場、右手には乗馬場が見える。ゴルフ場と言っても日本にあるゴルフ場のようなものではない。原っぱでおじいさん達の楽しそうな光景が目に入る。僕の大きなリックサック姿を見て「ギルウェル・パークに行くのかい?」「もう30分ほど歩けば左手にあるよ。すぐわかるよ!」と声をかけてくれた。
草原が終わるとエッピングの森に差しかかる。緩い上り坂だ。しばらく歩くと上り坂が終わり少し下り始めた頃、両側に小さな住宅地が見える。このあたりから道はゆっくりと左にカーブしていく。また少し登りになり再び下りになったあたりで左側に木製のギルウェル・パークの看板が見えてくる。
【ギルウェル・パーク】
ギルウェル・パークの入り口をから数百m歩くことでやっとナショナル・スカウトセンター(英国連盟本部)に到着する。因みに、連盟本部はロンドン市街(BPハウスの西側)にあったものが数年前にギルウェル・パークに移転してきている。とりあえず、レセプションに行き「日本から来たボーイスカウトだけど、ここでキャンプをしたい。」と告げる。受付のおばさんは、僕の汗だくの姿を見て、「教えてあげるけど、まずその前に冷たい水でも飲んできなさい。コーヒーもあるわよ。左手に行くとロビーがあるから。」と笑顔で教えてくれた。ロビーでまずは水をがぶ飲み。時はちょうど午後3時、まさにThree O’clock Teaだ。紅茶で一休みしてレセプションに戻った。
英国連盟本部の建物を出て、彼女に教わったように歩いていくと大きな時計台が見えてきた。その向こう側がキャンプサイト・オフィスだ。そこで、また先ほどレセプションで言ったようなことを告げるとあっさり「OK」という返事が返ってきた。当然、予約もなく、内心「ダメだと言われたらどうしよう。今夜はどこで泊まろうか・・・野宿でもするか・・」などと思っていた。しかし、天は我を見放さなかった。(でも、キャンプと野宿の違いはなに?って言わないでね。)
さっそく、使用申込書を書くことになった。まず、グループ名を書いてくれと言われた。グループ名・・ったって・・・一人じゃん。う〜ん、グループは「Otsu21」。「大津21団」で団キャンプをしたことにしちゃおうっと。しかも参加者は一人だけ。団委員長、ごめんなさい。
「サイトはどこがいい?」と彼は地図を広げながら僕に言った。そんなことわかるはずがない。「いいサイトを推薦してください。」とお願いしたら係のお兄さんが案内してくれた。17番サイト。「ここからあの端まで全部使ってもいいよ。」・・・こりゃ本当に団キャンプができそうだ。
しかも、今夜、この広大なギルウェル・パークでキャンプをするのは僕一人だけだそうな。 「じゃあ、楽しんで!」と言い残して彼は戻っていった。
広大な草原の中、ぽつんねんと一人っきりになった。ほっとしたのもつかの間、雲行きが怪しくなってくる。そう言えば、係のお兄さんも「今日は少し降りそうだ」と言っていたな。少し小高くなったところを探して設営を急ぐことにする。
【なんちゃってプロジェクト】
ギルウェル・パークでの最大の目的であるこのプロジェクトを実施展開する。
プロジェクト名は「ギルウェル・パークでチキンラーメンを食べるぞプロジェクト」
準備したものは瀬田のヒカリ屋で買ったチキンラーメン、栄製機のガスバーナー、ブラウンシー島へ渡る港町のプールのスポーツ店で買っておいた £2.99 のガスボンベだ。日本で買う値段より割高だが、ガスボンベは航空機には持ち込めないので致し方ない。
ギルウェル・パークのあちこちに水道の栓が立っている。そこで水を汲み、お湯を沸かす。そして待つこと2分30秒。30秒早めが、ぼくの好みのかたさなのだ。「うまい!」
ミッション完了。やはりギルウェル・パークにはチキンラーメンがよく似合うことがこれで実証された。あとで、スカウト像にも「お供え」をしておくことにした。
余談だが、今回の旅では時期的や国際的な状況(テロが多発している等)を考え、どういったことで所持品を放棄せざるをえなくなるかわからないので、無くしても(金額的に)我慢できるものを選定した。テントはヒマラヤスポーツの VisionPeaks 2人用 6,780円、コッヘルもいつものチタン製じゃなくてアルミの食器だ。そして、安くてコンパクトな栄製機のガスバーナー 1,680円、ガスランタン 2,200円などなど。
【快適すぎじゃな〜い】
ギルウェル・パークにはシャワーがある。係のお兄さんから「シャワーがあるから自由に使って」と言われていた。でも、キャンプ場にあるシャワーだし、キャンプしているのは僕一人なので、てっきり「水」のそれだと思っていた。10月のギルウェル・パークの夜は寒い。気温は10度を下回る。さすがの僕も冷水シャワーをかぶる根性は持ち合わせてはいない。興味本位でちょっと試してみると案の定、冷たい。やっぱりなあと思っていると次第に温かくなってくるではないか。おおっ。なんじゃこりゃ〜。
大急ぎでテントに戻り、お風呂セットとお泊まりセットをもってシャワールームへ直行。ちょっとぬるめだが快適な温水シャワーだ。温水と言っても37、8度といったところだろうか? 「♪シャワーはぬるめのお湯がイイ〜〜〜♪」と八代亜紀まがいの替え歌を歌いながら、「まるでおやじじゃないの?」「わるかったな、おやじだよ。」「だったらそれで結構だ!ありがとう!」とひとり突っ込みをしながら、さっぱりしてテントに戻る。
満天の星空を眺めながら「明日はいい天気だな。」と思ってシュラフに潜り込む。翌朝、期待は完全に裏切られる。この季節の英国の天気は、少なくともギルウェル・パークの天気はころころ変わるということが身をもって体験できた。しかし、雨のギルウェル・パークもいいもんだ。久しぶりにテントの中で雨音を聞きながら過ごすロマンチックさなんざぁ、スカウティングをやってないとわかんね〜だろうな〜ぁ。
こんなふうにして、ここでの僕の4日間のキャンプ生活が始まった。
【空飛ぶペグ】
ギルウェル・パーク2日目の夜のことだ。ぼくは、その日、あちこちを探索し、歩き回って疲れていたのでかなり早めに床についていた。ぐっすり眠っていたそのとき、「ドサッ、ドサドサッ」と音がしてテントが揺れた。何がなんだかわからない。時計を見ると20時半だ。鳥でもテントにぶつかったのか? それを確認するのも面倒なほど眠かった。そのまま、またシュラフにもぐり込んだ。しばらくすると、また「ドサドサッ」と音がした。今度はさすがのぼくも飛び起きた。テントから出るとテントの周りに木製のペグが10本くらい散らばっていた。よく見ると林の向こうでキャンプファイアーをやっている集団がいるではないか。それ以外にはこのギルウェル・パークには誰もいそうにもない。「やつらだ!」そう思ったぼくは、眠い目をこすりながら、そのペグのうちの1本を持って林の中の営火場に歩いて行った。カブ年代の少年が20数人だっただろうか、それと若いリーダーが一人いた。テントを張っている様子もなく、彼らはこの近くのスカウトなのか、はたまた、舎営なのだろうか。
ぼくは、そのリーダーに、「このペグがぼくのテントに飛んで来て、突き刺さったぞ。」本当は突き刺さってなんかいない。でも、心地よい眠りを妨げられたぼくは、かなり機嫌が悪かった。彼はスカウト達に、このペグを投げたかどうか問いただしたが、スカウト達のだれからも返事は返ってこなかった。「この周りには君たちしかいない。君たちはボーイスカウトじゃないのか?」と、ぼくは更に問いただした。「Yes. ・・・・I’m sorry・・・」と、その若いリーダーはぼくの顔をまともに見ず、うつむきながら、そう答えた。あっ、ちょっと言い過ぎたかな。そう思ったぼくは、「OK。もういいよ。もう投げないでね。営火、楽しんで・・・。」と言ってテントに引き返した。そして、その後、もうペグが飛んでくることはなかった。
後で考えると、いくら寝起きで機嫌が悪くても、もうちょっと言いようがあったのではないかと反省した。そして、それが今回、ギルウェル・パークで遭遇した唯一のスカウト活動らしきものになるとは、その時は思いもしなかった。あのキャンプファイアーに参加させてもらっておくべきだったと気づいたのは日本に帰ってからだった。
【GB2GP】
ギルウェル・パークにはアマチュア無線局が常設されている。コールサインは
GB2GP 。せっかく来たのだから見学しない手はない。キャンプサイト・オフィスに行ってラジオ・シャックの見学を申し出た。「ライセンスは持ってる?」「日本の1stクラスのライセンスなら持っている。」と答えると「それならOKだ」と彼は言った。(うっそ〜、日本と英国は相互運用協定を結んでいないから日本のライセンスは使えないんだけど〜)
でも、まっ、いいや。それで見学させてもらえるのなら・・・。無線室の鍵を借りて無線室へ。無線室には僕一人だけだ。残念ながら、不思議なことにそのあとの記憶は・・・ない。
【キャンプサイト・オフィス】
ギルウェル・パークのキャンプサイトの入り口の右側にはギルウェル・ミュージアム、左側にはキャンプサイト・オフィスがある。どちらも古めかしい木造の平屋だ。オフィスにある本、パンフレット、掲示板などを見ていると、ローカル、グローバル、様々な行事の情報がたくさんある。来年の2005年8月には、ヨーロッパ・ジャンボリー(Eurojam2005)が、このギルウェル・パークからもう少し東北東のチェルムスフォード(Chelmsford)のハイランズ・パーク(Hylands
Park)で開催される。ブラウンシー・リローディッドというイベントもブラウンシー島で開催される。100周年に向けての行事が目白押しのようだ。そして、その2年後の2007年には、第21回世界ジャンボリーが、同じくそのハイランズ・パークで開催される。
【 Outdoors 】
ロンドンの地下鉄ビクトリア駅から徒歩数分の所に英国連盟が経営している”Outdoors”というお店がある。Outdoors is wholly owned by The Scout
Association. All trading profits are returned to The Association. 全くうらやましい限りだ。そのお店の隣にはガール・ガイドの本部がある。Outdoors
の地下がスカウトグッズの売り場だ。2005年のユーロジャムのグッズやら
2007年のグッズやらがいっぱいだ。(如何せん、一人っきりの放浪の旅ゆえ、これ以上荷物が増やすことができないので・・・という理由で、恥ずかしながら、私め、自分のものだけ買って参りました。・・・お土産はまさに「みやげ話」のみ、ということで・・・)
帰る前の2日間はロンドンのB−Pハウス泊とした。予備日に1日取っていたのでケンジントン公園やらハイドパークを散策したりと、のんびりと過ごすことにした。
【開店前の食堂】
帰国の日の早朝の6時、僕は一人っきりで、まだオープンしていないB−Pハウスの食堂で朝食をとっていた。なぜって? B−Pハウスのおじさんが僕のために食堂を開けてくれたんだ。
話は前の日に遡る。だったらはじめから前日の話からすればいいのだが、それは、それ。その日の夕刻、レセプションのお兄さんに、明日の早朝に帰国する旨を告げた。「朝食は?」と聞かれたので「無理ですよ。」と僕は答える。彼はけげんな顔をして「どうして?」 僕は彼の質問にとまどいながら「だから、6:30に出発するから 7:40の食堂の開店のときにはここには居ないんですよ。」 彼はにっこり微笑みながら「大丈夫、あなたのために開店しますよ。ただし、フル・ブレックファストは無理ですけどね。では、明日の朝、レセプションに来て下さい。」
そして朝、レセプションに行くと、おじさんがにこやかに鍵を出して来て食堂の扉を開けてくれた。真っ暗だった食堂がぱっと明るくなる。彼はシリアルやパン、そして飲み物を準備してくれた。「これから飛行機に乗って日本に帰るのかい?よい旅を。」「コーヒー紅茶は向こう側にあるから、ゆっくりしていってくれ」と言い残しレセプションに戻っていった。
そこそこのホテルなどで朝食をとれないときにバスケットを用意してくれたりするが、まさかB−Pハウスでこんなサービスを受けるとは思っても見なかった。ところで、海外では日本人だというと合掌してくれることがよくある。彼もまた「よい旅を!」といいながら合掌してくれた。僕も「ありがとう」と言って合掌しかえした。なんか変かな・・?。まあ、いいや。
【最後に】
今回の10日間の英国一人旅はかなり「はちゃめちゃ」な旅になってしまった。仕事での渡航とは違って、予期せぬいろんな人と出会い、様々な体験をすることができた。書きたいことの10分の1にも満たないけれど、僕の作文力を考慮してこの辺でおしまいにしよう。
ベンチャー隊の副長としてスカウト達には、やれ「企画書を書け」だの「報告書はまだか」だのと言っているくせに、いったい自分はどうなんだろうと思ったとき、やるっきゃないとこのプロジェクトを企画した。「行うことによって学ぶ」の実践だ。それは、スカウトだけじゃなく「おやじ」にだって言えることなんだ。
そして、仕事での旅というわけでもなく、上記のような理由を大義名分にして好き勝手に英国に旅立とうとしている僕を半ばあきらめながらも優しく送り出してくれた家族には大いに感謝をしている。
また、急な計画にもかかわらず、国際紹介状の発行の手続き等を快く引き受けて下さった
ボーイスカウト滋賀連盟 事務局の岡村さんに謝意を表したい。
2004年10月
ボーイスカウト大津21団 ベンチャー隊副長 Masami Yu