小学校3年生の頃、アマチュア無線を知ったきっかけは 短波ラジオ(五球スーパー)の
7Mc付近で入ってくる楽しそうな会話を聞いてからでした。(当時はAMが主流でしたから)
それから、二日にあけず自転車で20分のところにある電気屋さんに通い、そこのお兄さん
にいろいろと教わりました。
陽極、陰極、制御格子、遮蔽格子、抑圧格子、ヒーター、2次電子放出現象・・・・その頃
教えてもらったことは今でも鮮明に覚えています。
・・・・ 最近は、昨日のことでもすぐ忘れるのに・・・不思議です・・・

6年生のとき、発振に6C6、終段に42という真空管(6ZP1の兄貴分のようなやつ)、変調
は同じく42を使った送信機を制作。受信機は6BE6・6BD6・6AV6・6AR5・5MK9の
オーソドックスなものに 6BD6のサプレッサグリッド(第三グリッド)をグランドから浮かし
てVRで調整し少し発振気味にすると感度があがるのを利用して"Qマルチ"っぽくしたもの
です。(BFOがなくても とりあえずSSBもCWも聞けるでんです!)

この頃、電波を発射するのには免許が必要なこと、そしてそれは国家試験であることを知
り戸惑いました。大阪か愛媛県の松山まで行かなくてはならない・・・・当時、片田舎に住む
小学生にとってそれは大変なことだったのです。鉄道(電化していません)で乗り継ぎも入れ
ると、片道7時間ほどかかるのですから。

しばらく、短いアンテナで(ほんまかいな)テストして、改良に改良を重ねて 数台ほど作成
した中学2年(1969年)の7月、隣の徳島市でアマチュア無線の講習会があるということを聞き
(・・・・なんでも国家試験を受けに松山までいかなくてもいいそうな・・・・これしかない!)
ということで受講する事にしました。

そして、JA5EVQを開局。その当時の機器構成は終段6DQ5、変調6V6PP ともう一台が
終段807でした。

その後、電信に興味を持ち無許可で電鍵を叩き始めました。(時効です、ごめんなさい)
そしてそうこうしているうちに、ある日、CQをCWで出してるとJA1FG(梶井OM)から呼ば
れ冷や汗を出しながらQSOしました、頭の中が真っ白になり内容は全く覚えていません。
NoQSLをお願いしたことだけは記憶があります。
JA1FGと言えば前JARLの会長、「もし、無許可でCWにでていることがばれたらどうしよう」
などと、まだ純粋な(?)少年は生きた心地もしなかったのです。

そのとき以来、CWでの送信はきっぱりやめ、機器の製作と受信のみになりました。
上級の免許を取るには、やはり大阪か松山までいかなければなりませんから・・・

高校生になってから松山まで夜行列車で寝袋を持っていき朝まで駅のベンチで寝て試験を
受けました。


未完成・・・・・・・・・(つづく) ??