簡単な自己紹介です。。。
氏名 * ** (masami) (最近まで実名を書いていたのですが、近年いろいろ問題もあるようなので・・・)
ちょっとめずらしい名字です。出身は島根県の津和野町(鯉の町)で
少年時代は徳島県の鳴門(渦潮の町)ですごしました。
現住所は滋賀県大津市です。(琵琶湖のあるところです)
実家は今でも鳴門にあります。
スカウト活動(ハイク、キャンプのとき)など
子供の頃の楽しい想い出がぎっしり詰まった町だったのですが
最近、急速に鳴門の町が変わってきて、想い出の場所が
次々と姿を消していくのはとても淋しい気がします。
でも、浜辺の松林、谷間の僕たちだけの秘密のキャンプ場は
懐かしい思い出の中に、まだ鮮やかに残っています。
<ボーイスカウトのこと>
ボーイスカウトに はじめてお世話になったのが
鳴門第4団少年隊でした。なにぶん田舎の小さな団でしたので
カブ隊というものがなく、4団の神東正幸隊長(故人)のご厚意で小学校三年生から
五年生までの2年間、仮入隊と言うことで参加させていただき
その後、晴れて新入隊ということになりました。
やっと正式に仲間入りができたことに とても感動した記憶があります。
第4回の日本ジャンボリー(日本原)に参加したくて、だだをこねて隊長を
困らした記憶もあります。(年齢制限で無理だったような気がします。)
少年隊のときに第5回日本ジャンボリー(朝霧高原)と
年長隊ときには第13回世界ジャンボリー(同)に
参加できたことは、とてもよい経験になったように思います。
<ボーイスカウトのこと・その2>
私も学生生活で実家を離れ、夏休みに帰省したときには奉仕していましたが、
そうこうしているうちに鳴門4団も廃団になり、隊長も亡くなったりで
しばらくは、スカウト活動から遠ざかっていました。
1995年、子供がスカウトになったのをきっかけにリーダーとして
再びスカウト活動に参加させていただくこととなりました。
ことの始まりは、大津21団の総会のときに保護者として出席しましたところ
開会の時の「連盟歌」斉唱のときに懐かしさのあまり、つい一緒に口ずさんで
しまったのを当時副団員長(現団委員長)の徳島さんに目撃され
閉会のあと、居残り(?)を命じられ
「あんた、スカウト経験者でしょう」と問いつめられ、一巻の終わりとなりました。
「永遠のスカウト」という歌がありますが、このときほど
この歌のもつ意味のおそろしさが骨身にしみたことはなかった・・・・・・・・・・
21団の無線局のコールサインはJL3YCKです。
1999年8月までカブ隊の隊長で、9月からはボーイ隊の副長をしています。
<アマチュア無線のこと>
アマチュア無線の方はJA5EVQというコールサインはあるのですが
20年ほどQRTをしていて、スカウト活動に再び参加するようになり
再開したわけで通算期間は決して長くはありません。
でも、昔はラジオ少年のときもあったんです。
無線歴30数年、QRT歴20数年 合計で50年以上です。 (なんでやねん?)
現在も活動時(ハンディー機)とJOTAのとき以外はほとんどでていません。
そのうち、アンテナをあげて・・・と思っているのですが・・・いつのことやら。
かつて、5NJのときは JH2BSJを、13WJのときは8J1WJを
JA1YSSの会員番号は5−6です。(もちろん、30年ほど前の話なので
とっくに切れていますが・・・)
<インターネットのこと>
ホームページを作りはじめたばかりで、これからですが
みなさん、よろしくお願いいたします。
1999年11月11日 記